第4期名人戦(だい4きめいじんせん)は、1943年度、1944年度の名人戦である。ここでは、開催が途中で中止となった第5期名人戦についてもあわせて記述する。
概要
1942年から開始された第4期名人戦の挑戦制度は、以下のように変更となった。
- 16名の棋士による予選トーナメントを、半年に1回ずつ計4回実施する。
- 予選トーナメントの優勝者は、木村義雄名人と半香の手合いで三番勝負を行い、勝ち越した棋士を挑戦権の有資格者と定める。
- 有資格者が2名以上の場合は改めて決戦を行い、勝ち上がった棋士を挑戦者とする。
太平洋戦争の戦時体制の適用や、常勝を誇る木村義雄名人への対策が、挑戦制度の変更の理由とされている。
予選トーナメントの結果、第1回は萩原淳八段、第2回は大野源一八段、第3回は花田長太郎八段、第4回は坂口允彦八段が、木村義雄名人との予備手合に進出した。
予備手合三番勝負では、予選トーナメントを勝ち抜いた4名全員が木村義雄名人に勝ち越すことができず失格となった。その結果、木村が名人位を留位し、名人戦4連覇となった。
第1回
第1回予備手合三番勝負
第1回予選
第2回
第2回予備手合三番勝負
第2回予選
第3回
第3回予備手合三番勝負
第3回予選
第4回
第4回予備手合三番勝負
第4回予選
第5期名人戦
第5期名人戦(だい5きめいじんせん)は、1945年度、1946年度の名人戦である。
第5期名人戦の挑戦制度は、以下のように変更となった。
- 7人の成績優秀者を選抜する。
- 順に木村義雄名人と三番勝負を行い、指し分け以上の成績を取った棋士を挑戦権の有資格者と定める。
- 有資格者が2名以上の場合は改めて決戦を行い、勝ち上がった棋士を挑戦者とする。
三番勝負の手合いは、木村義雄名人から見て、香落、平手、振り駒の順で行われる。挑戦者が一局目の香落で敗れた場合、その時点で失格となる。
大野源一八段、金子金五郎八段、萩原淳八段、塚田正夫八段、花田長太郎八段、坂口允彦八段、加藤治郎七段の7名が成績優秀者として選抜された。
1944年の秋から対局が開始されたが、1945年に入り太平洋戦争の戦況が絶望的となったのに伴い、対局が中止となった。名人位は木村義雄名人が留位し、名人戦5連覇となった。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6。
- 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年。ASIN B000JA9I5Y。
外部リンク
- 名人戦・順位戦:日本将棋連盟




